腱鞘炎―吉田様 鍼灸(はり・きゅう)体験談

あなたの笑顔が見られるまで、腱鞘炎治療に全力で取り組みます。大阪府東大阪市(八尾市・生駒市)

痛み止めを飲んでも痛みはひどい。休職期間は、もうわずかしか残っていない。職場復帰のめどは立たない。・・・

このページは、あなたと同じ腱鞘炎に悩み、克服された吉田さん(大阪府東大阪市 47歳)の体験です。

腱鞘炎による休職から復帰して一月

吉田さんが職場に復帰して一月。復帰する前は心配で仕方がなかった。果たしてやっていけるのか?。腱鞘炎が完全によくなった状態での復帰ではなかった。職場では、できるだけ腱鞘炎の手に負担のかからないように配慮してもらう約束での復帰だった。しかし、介護の現場ではそうそうは甘えてはいられない。同僚にあまり迷惑をかけることもしたくない。ついつい腱鞘炎の手を使ってしまっている。それでも腱鞘炎は確実によくなってきている。時間を巻き戻すことができたなら、腱鞘炎になる前に戻したい。それが不可能なら腱鞘炎になってすぐの時に戻してほしい。腱鞘炎になってすぐたつみ鍼灸院を知っていたらこんなにつらい思いをしなくてもよかったのに・・と思う。

腱鞘炎になったのは利き手の手首、親指。

毎日毎日重い入居所さんの方々を抱えたりしているうちに、痛くて痛くてどうにも仕方がなく、整形に行くと腱鞘炎と診断された。処方されたのは痛みどめの飲み薬と湿布薬。しかし痛み止めを飲んでも痛い。ちょっとでも手を動かすと余りの痛みにうめき声が上がってしまう。仕方なく、腱鞘炎のために休職させてもらった。
休職して手を休めていても、ちっとも腱鞘炎はよくならなかった。1日3回痛み止めの薬を飲む。飲み薬だけでは痛みは減らない。この上に痛み止めの注射もしてもらわなければ過ごせない。しかし、注射の効き目が切れるとまた痛みが襲う。

台所仕事が苦痛

台所に立っても包丁も痛くて握れない。仕方なくカット野菜を使う。フライパンの柄を持つことも無理。出来合いの総菜に頼ることもしばしばであった。痛み止めの注射は頻繁にしてはいけないと医者に言われている。吉田さん自身もできるなら注射は避けたいと思っている。しかし、日々の生活にも支障をきたすので一週間に2回もうけてしまう。これでも我慢をしている方である。本当なら毎日でも打ってほしい。日ばかりが容赦なく過ぎる。

職場に復帰できるめどは全く立たない。

(このまま過ごして本当によくなるのだろうか?いつまでも休職できないし。休職期間ももう少ししかない。経済的にも心配になってきたが復帰なんて到底できる状態ではない。仕事ができなくなったら・・・こんなに頻繁に痛み止めの注射をして反対にどこかがおかしくなるのと違うかな。)とめどもなく不安が湧き上がる。先の見えない不安に押しつぶされそうになる。

たつみ鍼灸院との出会い

休職期限が目の前に迫ってきた。薬で治らないのだからほかの方法を探さなければ…必死の思いでインターネット検索して見つかったのがたつみ鍼灸院・・・はり? 痛いのと違う? 薬で良くならなかったのにはりで良くなるなんて信じられない。
しかし、もう後ろには引けない。針治療にかけるしかない。だめもとで予約を入れる。

初めての針治療

予約の日がやってきた。不安でドキドキする。問診票を書いてベッドに横たわる。針は髪の毛ほどの細さ。これには安心。針治療が始まる。脈を診て、腕を触ったり。手足の指を触って痛みがないかなどといろいろ丁寧に詳しく調べられる。針をして痛みのあったところの痛みが消えているかを確認しながらの針治療である。決して腱鞘炎の痛いところに針を打つわけではない。針を打った後、「少し、痛い方の手首を動かしてみましょうか」と言われる。(ちょっと動かすだけで痛みが走っていたのにそんなこと無理!)と思う。しかし、言われたように動かすと、あれ?少しだけど動かせる。(これなら治るのと違う?)と思えた瞬間である。

希望が見えてきた。針治療にかけてみよう。

針治療の回を重ねるにつれて腱鞘炎がよくなっていくのが実感できる。台所仕事もできる。痛み止めの注射を打つ回数が減ってきた。減っただけでなく、全く打たなくてもいけている。針治療に通い出したのは休職期間の期限が目の前に迫っていた時。完全によくなった状態で復帰したかったが、そんなことも言っていられなかった。ただ針治療で腱鞘炎は良くなっていることが支えだった。仕事に復帰して腱鞘炎が悪くなったらという不安があったが、経済的な面、職場にいつまでも迷惑をかけることができない。などの思いから職場復帰に踏み切らざるを得なかった。然し心配は杞憂に終わった。仕事を再開しても腱鞘炎は悪くならなかった。徐々に仕事量も普通並みになってきた。夜勤も入れるようになった。もう、痛みどめの注射を打ちに行く必要もない。